コラム第15回 【日本と云う国】

美しい国日本をもういちど

7月28日を最後にだいぶ間が空いてしまいました。

7月8日安倍晋三元総理が銃撃を受け亡くなられてしばらくが経ち、テレビ、新聞などの報道を見ていろいろ考えるところがあり一体、何が起きているのだろうか?私の知っている日本で起きてることなのだろうか、とたくさんの疑問や苛立ちを感じていました。

日本に限らず世界どこの国でもなくなった方に対して敬意を払うものであろうと思っていました。
特別な独裁者や悪人でない限り民主的に選ばれ国家の元首として永い任期を務めた人物に対し、国、国民が敬意を払うのは当然のことであり、もちろん政治家ですから政策に対する批判や誤りを指摘することをあってはならないとは云いませんが、少なくとも非業の死を遂げた自分の国の元首に対し哀悼の気持ちを持てない国民とは一体、どこの国民なのでしょう?

選挙によって自分たち国民が選び、国の舵取りを任せた政治家が民主的な手段の対極にあるテロリズムによって命を奪われたら、怒りこそすれ死者に罵声を浴びせ、非難し静かに送ることさえ許さない社会が正常に機能している社会とは思えないのですが、私の持っている常識がおかしいのでしょうか?

どうして声の大きい少数の人の云うことがまかり通り、声の小さい大多数の人の意見が黙殺されるのでしょう。
実際に安倍自民党は任期中に6回の国政選挙に勝ち続けてきました。
そのことで公明党と合わせて議会の3分の2を確保し安定政権を運営してきました。
この事は国民の選択は安倍政権を支持していたことに他ならないはずであります。
政府への批難、批判をすることが仕事の皆さんはそれなりに政権を非難し、自己矛盾の中で埋没していくのを、声の小さな大多数の人は冷ややかに時には馬鹿にして笑っていたはずです。
ですから選挙の時には必ず自民党が第一党になってきました。

ところが何がどう狂ったのか、国民のリーダーシップを取るべき自民党の政治家までもが自信を無くし声の大きな少数の意見に右往左往している様は、滑稽を通り越しもう悲劇です。
他国の大使からも日本の様を心配される始末、世界の3番目の経済大国、一時はJapan as No1とまで云われた日本のプライドはどこに行ってしまったのでしょうか。

実のところ、私が一番心配しているのは、今の日本の世相が大東亜戦争(第2次世界大戦)前夜の世相に酷似しているのではないか、ということです。
当時、新聞ラジオは鬼畜米英、富国強兵、神国日本等の論調で明らかに偏った報道、情報発信をしていました。
少しでも違う意見を持つ人は非難され場合によっては投獄されたりもしました。
大戦後、その反省からマスコミは両論併記や偏向した報道がなされないように自らを戒めていたはずですが、その反省を忘れ部数伸張、視聴率伸張のためによりエキセントリックな見出し、恐怖の誘導など、特にコロナの始まったこの2、3年から極端になってきたように思います。
ネットの発達によって誰もが情報を得られることもあり、マスコミの力が弱まってきたことから、より極端な表現をしないと購読者、視聴者をつなぎとめることができなくなっているのかもしれません。

私たち日本人は今一度、立ち止まってこの国の常識や文化など当たり前として永くこの国で培われた様々な習慣やあり方を冷静に考える必要があると思います。
同時に次の世代に伝えられるように今一度、日本のすばらしさを「美しい国日本」を再確認したいものです。

令和4年9月20日執筆

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